今週が。
長いな…
一日が過ぎるのは割りと早いんだけど、気分的にさ。
重いんだよね。
はぁ。
それなのに、こんな曲聴いてるから余計に重いんだよね。
あはは。
でも、あほになれて良い。
長いな…
一日が過ぎるのは割りと早いんだけど、気分的にさ。
重いんだよね。
はぁ。
それなのに、こんな曲聴いてるから余計に重いんだよね。
あはは。
でも、あほになれて良い。
朝、起きてから2時間くらいお布団でぬくぬく。
それから、ちょっと遅めの朝ごはんをポチとたべて。
一緒にお出かけ。カラオケ行って、買い物して、のんびりして。
なんか休日らしい休日を満喫した気がするよ。
今まで出かけるのが億劫だったけど、結構楽しいかもね。
でも、明日は家でゴロゴロしたい 苦笑
基本的に出不精。
今日みたいのも楽しいけど、月に1回くらいで良いや。
たまにだから楽しいんだよ。きっと…
それから、ちょっと遅めの朝ごはんをポチとたべて。
一緒にお出かけ。カラオケ行って、買い物して、のんびりして。
なんか休日らしい休日を満喫した気がするよ。
今まで出かけるのが億劫だったけど、結構楽しいかもね。
でも、明日は家でゴロゴロしたい 苦笑
基本的に出不精。
今日みたいのも楽しいけど、月に1回くらいで良いや。
たまにだから楽しいんだよ。きっと…
何を買うわけでもないんだけど買い物に行く。
ポイントをもらうために。
必要なものを買います。
今日の晩ごはんの材料とか。
今日のデザートとか。
明日のごはんとか。
買い物に疲れたので肉まん食べました。
うまいね♪
で、のどか乾いたのでスタバに行ってココアを飲みました。
一息ついたところで、ケーキを買いに行ったところ、
お目当てのケーキ、売れてるじゃない!!
ということで、このお金で今度おいしいタルトを買いに行こう♪
と、自分を納得させて、悲しい気持ちを引き連れて帰宅。
冷蔵庫がいっぱいだとなんか幸せになるね。
明日を考えると憂鬱になるので明日のことは考えないことにしました。
ごはんはうまかった。
本は愉しいねぇ。
テレビもなかなか面白い。
ゲームしてウキウキ。
ちょっと小腹がすいたので夜食♪
すぐ寝たらまずいので、もうちょっと起きてよ〜
寝なくても明日は来るのに、寝れない日々。
計画的夜食。
ポイントをもらうために。
必要なものを買います。
今日の晩ごはんの材料とか。
今日のデザートとか。
明日のごはんとか。
買い物に疲れたので肉まん食べました。
うまいね♪
で、のどか乾いたのでスタバに行ってココアを飲みました。
一息ついたところで、ケーキを買いに行ったところ、
お目当てのケーキ、売れてるじゃない!!
ということで、このお金で今度おいしいタルトを買いに行こう♪
と、自分を納得させて、悲しい気持ちを引き連れて帰宅。
冷蔵庫がいっぱいだとなんか幸せになるね。
明日を考えると憂鬱になるので明日のことは考えないことにしました。
ごはんはうまかった。
本は愉しいねぇ。
テレビもなかなか面白い。
ゲームしてウキウキ。
ちょっと小腹がすいたので夜食♪
すぐ寝たらまずいので、もうちょっと起きてよ〜
寝なくても明日は来るのに、寝れない日々。
計画的夜食。
休みというだけで頑張れる自分。
今週始まったばっかりなのに疲れがね…
だから次の日休みと思うと頑張れます。
ゆっくりしよう。
ゆっくり遊ぼう。
「大丈夫。大丈夫。」
呪文のように繰り返す。
でも、明日はその必要はない。
空っぽでいよう♪
今週始まったばっかりなのに疲れがね…
だから次の日休みと思うと頑張れます。
ゆっくりしよう。
ゆっくり遊ぼう。
「大丈夫。大丈夫。」
呪文のように繰り返す。
でも、明日はその必要はない。
空っぽでいよう♪
人と会話をすること。喋喋とまではいかなくとも。
それは他人と接する限り、避けて通るわけにはいかないもの。
コミュニケーション。
そもそも、会話と言う形でコミュニケーションをするのは、
人間が言語と言うものを手に入れたから。
そんなものが出来たのは必要であったから。
集団でなければ生活することが出来なかった自然の中の弱者が見出した手段。
同種にしか聞き取ることの出来ない言語。危険から身を守るために。
牙を捨て、素早さを捨て、武器を手にし、知能を高めた。
そんな人間は言語も様々に変形させ、発展させた。
そんな言語を使って人は人とコミュニケーションをするようになり、楽しいことや、辛いことなどを共感できるようになった。
集団で生活するためには必要だった言語。
私も人間である以上、集団で生活していかなければいけないわけだが、
集団が苦手だ。そしてコミュニケーションも苦手だ。
危険を知らせる音(言語)は私の耳に届くとき、時としてそれが危険なものであったりするからだ。
音を発している者はそんなつもりはないのだろうけれど、私の耳は、その音を脳に運ぶ過程で、若しくは脳に届いた時点で別の音に変わるといっても過言ではないほどに別の音になる。
様々に変形した言語は、単純な意味から深い意味に変わり、
多くの意味を持つようになった。
そんな言葉を私の脳は正しく理解できない。
当然、私の心情も正しい言語に変換することが出来ない。
そんなわけで、私は他人とのコミュニケーションが苦手だ。
必要最低限の会話をすることは誰とでも出来る。
しかし、それ以上となると誰とでも出来るわけではない。
偉そうに自分の中で話せる人間と話せない人間を決め、
それを決定付けるものは、私の言葉を理解できるかできないかというものによる。
理解できると思っても、理解できない場合が多い。
そうなると私はその者との会話を極力避ける。
理解されない、理解できない会話を無駄に感じる。
それはもうコミュニケーションではないと判断する。偉そうに。
世の中の大人と言われる年齢に達するまで私は平然とそれをしてきたし、
それで何の問題もなかった。実際は問題がないように感じていたようだけれど。
それでも、成長するにつれてそれだけではどうにもならないと言うことに気づき始めた。
自分を囲む社会の枠が大きくなれば大きくなるほど、私の考えは通用しなくなる。
それは私を理解する人間と理解しない人間の比率の変化だ。
そんなわけで、私は私のコミュニケーションと言うものを根本から見直さなければならなくなった。
かと言って、私の基本的な考えが変わるはずもなく、
結果として、人を避けるように、必要最低限のこと以外は口を噤むということになっている。
しかし、いつまでもそれでどうにかなるものではないことなどは承知しているが、どうにもならないのである。
簡単に言えば、私は言葉が恐くて仕方がないからだ。
人に危険を知らせるための言葉は、いつしか私が他人を危険にさらし、危険をもたらすものだと思うようになったからだ。
そしてそれは私の中で真実であり、その真実が変わることがない限り私は言葉を恐れ、他人から発せられるの時も、他人へ発する時も、常に恐怖心と共にいなければならない。
それでも、最近他人と会話することが増えてきたのは必要に迫られていたからだろうか?
違うことは気づいている。
私は麻痺してきている。自分の納得のいかぬままに時は流れ、私は逆らえずにその流れに流されている。
その流れの中で私は他人とのコミュニケーションを拒否することが出来ず、流れのままにコミュニケーションをする。
危険にさらされることも危険にすることも、その恐怖心も、薄い膜を通しているかのように他人事で。
麻痺した私は自分の意思と関係なく喋喋として。
その歪は1人になったときに訪れる。
実際に1人でないときも、私は1人になる。
その瞬間、私はコミュニケーションを取れない人間へ戻る。
必要なことも必要でないことなのかもわからなくなった私はただ何も感じられなくなるばかりで、楽しかったことも悲しかったことも何もわからなくなり、口を噤む。
其処に人がいればおかしいと思うことだろう。
だけど、それが真実で、私はおかしな人間だろう。
私はもうどれほど長いこと自分の伝えたいことを伝えないコミュニケーションをしていることでしょう。
でも、それが世の中のいうコミュニケーションなのだと思っているのです。
だから私のコミュニケーション能力は測定できないのでしょう。
それは私が誰とも会話したくなく、誰もと会話したいからなのです。
私は誰と会話していてもその言葉を処理する自分と会話しているのです。
そうすることで、危険にさらしているのは他人ではなく自分だと納得させ、他人に危険をもたらさないようにしているのです。
結局のところ、私にとってコミュニケーションは情報収集でしかないのでしょう。
自分の知りえないことを知るための手段であり、そういった意味ではもともと言葉が発生した理由とたいして違いはないのです。
この考えは現在のもので、また何時変わるか知れません。
それは他人と接する限り、避けて通るわけにはいかないもの。
コミュニケーション。
そもそも、会話と言う形でコミュニケーションをするのは、
人間が言語と言うものを手に入れたから。
そんなものが出来たのは必要であったから。
集団でなければ生活することが出来なかった自然の中の弱者が見出した手段。
同種にしか聞き取ることの出来ない言語。危険から身を守るために。
牙を捨て、素早さを捨て、武器を手にし、知能を高めた。
そんな人間は言語も様々に変形させ、発展させた。
そんな言語を使って人は人とコミュニケーションをするようになり、楽しいことや、辛いことなどを共感できるようになった。
集団で生活するためには必要だった言語。
私も人間である以上、集団で生活していかなければいけないわけだが、
集団が苦手だ。そしてコミュニケーションも苦手だ。
危険を知らせる音(言語)は私の耳に届くとき、時としてそれが危険なものであったりするからだ。
音を発している者はそんなつもりはないのだろうけれど、私の耳は、その音を脳に運ぶ過程で、若しくは脳に届いた時点で別の音に変わるといっても過言ではないほどに別の音になる。
様々に変形した言語は、単純な意味から深い意味に変わり、
多くの意味を持つようになった。
そんな言葉を私の脳は正しく理解できない。
当然、私の心情も正しい言語に変換することが出来ない。
そんなわけで、私は他人とのコミュニケーションが苦手だ。
必要最低限の会話をすることは誰とでも出来る。
しかし、それ以上となると誰とでも出来るわけではない。
偉そうに自分の中で話せる人間と話せない人間を決め、
それを決定付けるものは、私の言葉を理解できるかできないかというものによる。
理解できると思っても、理解できない場合が多い。
そうなると私はその者との会話を極力避ける。
理解されない、理解できない会話を無駄に感じる。
それはもうコミュニケーションではないと判断する。偉そうに。
世の中の大人と言われる年齢に達するまで私は平然とそれをしてきたし、
それで何の問題もなかった。実際は問題がないように感じていたようだけれど。
それでも、成長するにつれてそれだけではどうにもならないと言うことに気づき始めた。
自分を囲む社会の枠が大きくなれば大きくなるほど、私の考えは通用しなくなる。
それは私を理解する人間と理解しない人間の比率の変化だ。
そんなわけで、私は私のコミュニケーションと言うものを根本から見直さなければならなくなった。
かと言って、私の基本的な考えが変わるはずもなく、
結果として、人を避けるように、必要最低限のこと以外は口を噤むということになっている。
しかし、いつまでもそれでどうにかなるものではないことなどは承知しているが、どうにもならないのである。
簡単に言えば、私は言葉が恐くて仕方がないからだ。
人に危険を知らせるための言葉は、いつしか私が他人を危険にさらし、危険をもたらすものだと思うようになったからだ。
そしてそれは私の中で真実であり、その真実が変わることがない限り私は言葉を恐れ、他人から発せられるの時も、他人へ発する時も、常に恐怖心と共にいなければならない。
それでも、最近他人と会話することが増えてきたのは必要に迫られていたからだろうか?
違うことは気づいている。
私は麻痺してきている。自分の納得のいかぬままに時は流れ、私は逆らえずにその流れに流されている。
その流れの中で私は他人とのコミュニケーションを拒否することが出来ず、流れのままにコミュニケーションをする。
危険にさらされることも危険にすることも、その恐怖心も、薄い膜を通しているかのように他人事で。
麻痺した私は自分の意思と関係なく喋喋として。
その歪は1人になったときに訪れる。
実際に1人でないときも、私は1人になる。
その瞬間、私はコミュニケーションを取れない人間へ戻る。
必要なことも必要でないことなのかもわからなくなった私はただ何も感じられなくなるばかりで、楽しかったことも悲しかったことも何もわからなくなり、口を噤む。
其処に人がいればおかしいと思うことだろう。
だけど、それが真実で、私はおかしな人間だろう。
私はもうどれほど長いこと自分の伝えたいことを伝えないコミュニケーションをしていることでしょう。
でも、それが世の中のいうコミュニケーションなのだと思っているのです。
だから私のコミュニケーション能力は測定できないのでしょう。
それは私が誰とも会話したくなく、誰もと会話したいからなのです。
私は誰と会話していてもその言葉を処理する自分と会話しているのです。
そうすることで、危険にさらしているのは他人ではなく自分だと納得させ、他人に危険をもたらさないようにしているのです。
結局のところ、私にとってコミュニケーションは情報収集でしかないのでしょう。
自分の知りえないことを知るための手段であり、そういった意味ではもともと言葉が発生した理由とたいして違いはないのです。
この考えは現在のもので、また何時変わるか知れません。
かぼちゃのタルト食べたかったな…
かぼちゃ嫌いですもんね…
だから言わなかったけど…
かぼちゃのタルト…
おいしいんだよ?
あのタルト屋さんの…おいしかったな…
来月24日に期待… 苦笑
かぼちゃ嫌いですもんね…
だから言わなかったけど…
かぼちゃのタルト…
おいしいんだよ?
あのタルト屋さんの…おいしかったな…
来月24日に期待… 苦笑
ま、1日のうち楽しくない時間も2時間くらいありましたがね。
でも、今日は何かと楽しい日でした。
ポチと楽しく遊びました。
久しぶりに出かけました。
毎日が今日みたいに楽しければいいのにさ…
でも、たまにだから幸せ感じるんだって言いますよね。
その通りかもしれないですね…はい。
来週は休みが多いから楽しみだ☆
楽しみがないと頑張れない私はもうダメな人間です。
それでも、そんな人間でいいという人が1人でもいれば心強く、
頑張れちゃうもんですね。
なんつって☆
でも、今日は何かと楽しい日でした。
ポチと楽しく遊びました。
久しぶりに出かけました。
毎日が今日みたいに楽しければいいのにさ…
でも、たまにだから幸せ感じるんだって言いますよね。
その通りかもしれないですね…はい。
来週は休みが多いから楽しみだ☆
楽しみがないと頑張れない私はもうダメな人間です。
それでも、そんな人間でいいという人が1人でもいれば心強く、
頑張れちゃうもんですね。
なんつって☆
通じないわけじゃないんです。
冗談はどちらかと言えば好きです。
でも、冗談の内容を選びます。
それは冗談にしてはいけないでしょ?
というものを平気で冗談のように話す人間は嫌いです。
今日、そんな人に会いました。
最悪ですね。
それは冗談として受け止めて欲しかったんですか?
残念ながらそれは出来ませんでした。
そういった類の冗談は大嫌いですから。
真剣に悩んでいるかどうかは、人それぞれ。
真剣なのか冗談なのか、それを測るのはその人のものさしで。
だから仕方のないことと言えば仕方のないことなんでしょうけど。
それでも私は浅はかな考えしか出来ないような人間は嫌いです。
言葉は話す人の気持ちによって重みがあったりするものです。
軽く言っている様に感じても、本当はそうでないことの方が多かったりします。
きっと今日の冗談を言った人間は明るい平和な人間関係の中で生きてきた人なのでしょう。
前向きな素晴らしい人なのだと思います。
その点私は、人間関係は狭いながらも深いものがあると思います。
だからこそ、相手の言葉を単純に受け止められず、深く考えすぎることが多いのかもしれないです。
でも、それは間違っているとは思いません。
少なくとも私の輪のなかでは、それは必要なことでした。
でも、今のこの環境には必要のないものなのかもしれませんね。
自分が出来ることを当然回りが出来るなんて思ってはいませんが、
少なくとも自分よりも人生の先輩的立場にある人間だったら出来てもおかしくないと思うのは私のわがままなんでしょう。
そんなこと出来なくても、私よりもずっとずっと多くのことが出来る人間でしょうし、素晴らしい人間なのだと思います。
ただ、そんな人間が口にする「協調性」とは一体どんなものなのでしょう?
何を考えて「協調性」なんて言葉を口にするんでしょう?
おそらく表向きのものでいいということなのでしょう。
私は考えすぎていたようです。
だからこそ、難しい問題だと真剣に悩んでいたのですが。
そんな必要はなかったのでしょう。
私が馬鹿でした。
表向きなら簡単です。
さて、明日も仮面舞踏会に出席です。
仮面を外していられるこの時間を充分に愉しみましょう。
貴方は虚空そのものだと感じて仕方のない自己嫌悪の塊のような私も、仮面を外した瞬間に貴方を知らない純粋な私になれるのです。
どれが本当かなんて私ももう分かりませんけどね。
もう、ネバーランドにはいられないのかもしれません。
頭の中で繰り返されるメロディ。
冗談はどちらかと言えば好きです。
でも、冗談の内容を選びます。
それは冗談にしてはいけないでしょ?
というものを平気で冗談のように話す人間は嫌いです。
今日、そんな人に会いました。
最悪ですね。
それは冗談として受け止めて欲しかったんですか?
残念ながらそれは出来ませんでした。
そういった類の冗談は大嫌いですから。
真剣に悩んでいるかどうかは、人それぞれ。
真剣なのか冗談なのか、それを測るのはその人のものさしで。
だから仕方のないことと言えば仕方のないことなんでしょうけど。
それでも私は浅はかな考えしか出来ないような人間は嫌いです。
言葉は話す人の気持ちによって重みがあったりするものです。
軽く言っている様に感じても、本当はそうでないことの方が多かったりします。
きっと今日の冗談を言った人間は明るい平和な人間関係の中で生きてきた人なのでしょう。
前向きな素晴らしい人なのだと思います。
その点私は、人間関係は狭いながらも深いものがあると思います。
だからこそ、相手の言葉を単純に受け止められず、深く考えすぎることが多いのかもしれないです。
でも、それは間違っているとは思いません。
少なくとも私の輪のなかでは、それは必要なことでした。
でも、今のこの環境には必要のないものなのかもしれませんね。
自分が出来ることを当然回りが出来るなんて思ってはいませんが、
少なくとも自分よりも人生の先輩的立場にある人間だったら出来てもおかしくないと思うのは私のわがままなんでしょう。
そんなこと出来なくても、私よりもずっとずっと多くのことが出来る人間でしょうし、素晴らしい人間なのだと思います。
ただ、そんな人間が口にする「協調性」とは一体どんなものなのでしょう?
何を考えて「協調性」なんて言葉を口にするんでしょう?
おそらく表向きのものでいいということなのでしょう。
私は考えすぎていたようです。
だからこそ、難しい問題だと真剣に悩んでいたのですが。
そんな必要はなかったのでしょう。
私が馬鹿でした。
表向きなら簡単です。
さて、明日も仮面舞踏会に出席です。
仮面を外していられるこの時間を充分に愉しみましょう。
貴方は虚空そのものだと感じて仕方のない自己嫌悪の塊のような私も、仮面を外した瞬間に貴方を知らない純粋な私になれるのです。
どれが本当かなんて私ももう分かりませんけどね。
もう、ネバーランドにはいられないのかもしれません。
頭の中で繰り返されるメロディ。
『天夢航海』
あの本屋さんは何処にあるのでしょう?
私も是非とも一冊手にしたいです。
自分に対する疑問が解けました 笑
なるほど、私って…って感じですね。
面白かった。
ポチさん、次もおもしろい一冊よろしく!
あの本屋さんは何処にあるのでしょう?
私も是非とも一冊手にしたいです。
自分に対する疑問が解けました 笑
なるほど、私って…って感じですね。
面白かった。
ポチさん、次もおもしろい一冊よろしく!
ポチのために我慢しました。
よく頑張った!!
でも、他のもののためには我慢できないんだよね…
だからこんな状況。
でも、白黒主義。
難しい自分、本当に厄介…
助けてください。
なんて言っても助けられるのは自分だけだったりして、
そんな自分は自分を助けることすら面倒だとか言います。
現状維持。
厭だ…
よく頑張った!!
でも、他のもののためには我慢できないんだよね…
だからこんな状況。
でも、白黒主義。
難しい自分、本当に厄介…
助けてください。
なんて言っても助けられるのは自分だけだったりして、
そんな自分は自分を助けることすら面倒だとか言います。
現状維持。
厭だ…
フォーってうまいよね。
前食べた手作りのマジうまかった。
へぇ。フォーから作ってるの?
うん、粉からね。
ああ、米からでしょ?
そう、粉から。
そう、米ね。
噛み合ってない。でも、面倒だから流してみた。
こんな会話を聞いたら苛付く人。
最近多分一番話す人 笑
面倒くさがりなわりに、そういう突っ込みしっかりするね。
ボケつぶしでもあるけど 苦笑
前食べた手作りのマジうまかった。
へぇ。フォーから作ってるの?
うん、粉からね。
ああ、米からでしょ?
そう、粉から。
そう、米ね。
噛み合ってない。でも、面倒だから流してみた。
こんな会話を聞いたら苛付く人。
最近多分一番話す人 笑
面倒くさがりなわりに、そういう突っ込みしっかりするね。
ボケつぶしでもあるけど 苦笑
今まで言葉では知っていたけど、実際に良く分かっていなかったこと。
最近出来るようになってきました。
そしてそんな自分が厭で堪らない。
葛藤は体に出てくるもので。
今日も電車で貧血症状。
電車の中の人間は全員うまいこと本音と建前使って生きてるんだろうな〜
そう思った瞬間にクラっとくるんです。
ああ、何が原因なのかしら?
最近出来るようになってきました。
そしてそんな自分が厭で堪らない。
葛藤は体に出てくるもので。
今日も電車で貧血症状。
電車の中の人間は全員うまいこと本音と建前使って生きてるんだろうな〜
そう思った瞬間にクラっとくるんです。
ああ、何が原因なのかしら?
耳鳴りがしているから痛いのは当たりまえ。
でも、それ以外のことが原因でもあるんだよね…
なんてか、自分は勘違いされやすい人間だってことは良く知ってる。
でも、それがあまりに見当違い名ものだと本当にどうしていいか分からない。
取り敢えず、同僚と飲みに行きました。
来週から恒例になりそうですが。
さて、嫌なことがあったら普通は愚痴るとかするんでしょうけど、
そんなこと他人に話せば話すほど自分が惨めになって
自己嫌悪の嵐に悩まされることになって、収集がつかなくなるというのに、
どうしてそんなことしたいと思うだろうか?いやしません。
そういうところ、何気に似ている同僚との飲みだから、
今回の話のねたは、というか大体いつも同じだけど社会に付いて話す。
自分と社会というものについて。
なんかちょっと聞こえはいいけど、簡単に言うと社会に適応できないもの同士の悩み相談ですよ 笑
社会の中で生きていかなければいけないのに社会に適応できない。
努力していないわけではないけれど、社会に馴染めない。
社会が受け入れてくれないなんて馬鹿なことは言いません。
でも、社会にどうやって入っていけば馴染んだように見えるの?
ということをひたすら3時間も4時間も話してました。
馴染まなくていいと思っているから馴染んで見える?って話。
馴染むつもりがはなからないから、馴染めないことは知っている。
でも、馴染んだように見えるだけで社会の目は変わるもの。
実際に同じ色にならなくても角度的に同じ色に見えれば良いんだよ。
そんなこと考えているから適応できないんだけど。
知っていても、其処だけはまだ譲れない。
適応したら今の自分が消えてしまいそうで怖いから。
臆病者は辛いんです☆
でも、それ以外のことが原因でもあるんだよね…
なんてか、自分は勘違いされやすい人間だってことは良く知ってる。
でも、それがあまりに見当違い名ものだと本当にどうしていいか分からない。
取り敢えず、同僚と飲みに行きました。
来週から恒例になりそうですが。
さて、嫌なことがあったら普通は愚痴るとかするんでしょうけど、
そんなこと他人に話せば話すほど自分が惨めになって
自己嫌悪の嵐に悩まされることになって、収集がつかなくなるというのに、
どうしてそんなことしたいと思うだろうか?いやしません。
そういうところ、何気に似ている同僚との飲みだから、
今回の話のねたは、というか大体いつも同じだけど社会に付いて話す。
自分と社会というものについて。
なんかちょっと聞こえはいいけど、簡単に言うと社会に適応できないもの同士の悩み相談ですよ 笑
社会の中で生きていかなければいけないのに社会に適応できない。
努力していないわけではないけれど、社会に馴染めない。
社会が受け入れてくれないなんて馬鹿なことは言いません。
でも、社会にどうやって入っていけば馴染んだように見えるの?
ということをひたすら3時間も4時間も話してました。
馴染まなくていいと思っているから馴染んで見える?って話。
馴染むつもりがはなからないから、馴染めないことは知っている。
でも、馴染んだように見えるだけで社会の目は変わるもの。
実際に同じ色にならなくても角度的に同じ色に見えれば良いんだよ。
そんなこと考えているから適応できないんだけど。
知っていても、其処だけはまだ譲れない。
適応したら今の自分が消えてしまいそうで怖いから。
臆病者は辛いんです☆