自分を理解するというのは本当に難しい。
自分は自分をそれなりに理解しているような気がするが、
それが確かかと言われればそうとも言えないような気になるのが事実。
私は他人の目から見れば、明るく強く見えるという。
それは私だろうか?
私はそれが私だとは到底思えないのだが、他人の目から見えるものが正しいとすれば、私はそう言った人間なのだろう。
しかし、私は決して明るくもなければ強くもなく、明るくしていようと振舞うことに違和感がないだけなのではないだろうかとも思う。
しかし、真に明るい人間でなければ明るさに多少なりとも違和感はあるものではないのかと考えてしまう。
私は決して強くはない。
強ければ良いと思うが、それはあくまで理想であり事実ではない。
他人は私の過去の話を聞き強いという。
それでも、私は逃げていただけなのだと知っている。
それが恥ずかしいことだったかは分からない。
いまでも、恥ずかしいと思うことはない。
それでも、他人との接触を酷く拒もうとしていたことは事実で、
他人との接触よりも孤独を近くに置いていただけのこと。
他人は孤独は強いというけれど、孤独な状況に置かれて耐えることと、孤独を作り上げそこに住み付くのでは孤独の重さも違うような気がする。
前者は確かに強いかもしれないが、私は後者の人間である。
全ての物を拒みたかっただけで、孤独に置かれたわけではなく、煩わしい気持ちから孤独に置いた。
その為か未だに人が嫌いだ。
そんな私が明るい人間なわけがない。
もし、そう見えるのであれば私は私さえも欺いているのだろうか?

何を考えていたのか分からない。
頭が真っ白になる瞬間は度々あるから。

さて、今日で世間様の3連休は終わりだったかな。
明日からの電車が億劫だ。

今、明らかなのはそんな事実だけ。
そんな私のことだけ。

それすらも本当かどうか怪しいのかもしれないけれど。

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