仄かに…

2005年11月28日 思考の間
今日のお昼時間、何処からともなくこんがりガーリックな香が…
ということで、今日の気分はイタリアンでした。

そんなわけで今日の晩ごはんはパスタにしよう☆
なんて考えていたわけですが。

私がそんなことを考えるのも、現実逃避がしたいためですけど。

以下、気分を害する内容になっておりますので、遠慮される方は飛ばしてください。

↓↓↓スタート↓↓↓

ここにいると本当に気が違えそうです…
なんていうか、協調性というかアナタが言っているのは同調性でしょ?
残念ですが、協調なら私はすることが出来ますが、私は同調する人間は選ばせていただきます。
何でそんなくだらないものに同調をしなければいけないんでしょうね。
馬鹿ですか?
馬鹿でなかったらこんなことは言わないのでしょうけれど。

そもそも、精神年齢はおいくつですか?
そういった人間は数多く見かけましたが、こんなに積極的に自分の精神年齢の低さを強調している人間にあったのは初めてですよ。
びっくりですね。

自分がしていることが絶対的に正しいとでもお思いでしょうか?
思うのは勝手です。
そのかわり、それをあなたの世界の外に出さないでいただけますか?
ましてや強制なんてあほらしいこと良い加減に辞めていただけますか?
非常に非常に不愉快です。

毎日毎日、腐った世界に飽き飽きしているのに、
さらにその色を強くしないでいただけますか?

あなたは腐った世界がお好きなようですけれど、私は大嫌いなのですよ。

無垢はいつしか色付きくすんでく

もう私には残っていないかもしれませんね。
あれほど大切にしていたのに、見失ってしまいました。

許しません。

さっさと焼け焦げてくださいね☆

苦手な奴

2004年5月28日 思考の間
何度頑張っても苦手は苦手。

自分本位。

貴方の頭には貴方以外は存在しないのですか?
存在しないと分かっているからこそ、私は貴方との掛け合いをなるべく避けているのですがね。
私は日本語しか話せません。
貴方の言葉は日本語に感じられないときが多々ある。
それを私は理解できない。
だから閉口するのです。否、閉口せざるを得ないのですがね。

かといって、ここに書いても何の意味もないことなど分かってはいますが、捌け口です。
頭には詰め込まねばならぬことが多すぎて、無駄なことは棄ててしまいたい。
しかし、貧乏性の私はどんな些細なことも勿体無くて仕方ない。
だから、記憶の整理をここで行なう理由だ。

貴方は本当に私が苦手とする人間なのだよ。
分かっていたら近ずかまい。
しかし、近くにいるのだから仕方ない。
別に、いつも厭な気持ちがするわけでもなく、楽しいことも多々ある。
それだけに、切り捨てることも出来やしない。

しかし、人には越えられないものがイパイアッテナ(馬鹿)

表向きなら表向きだけを貫き通して頂きたい。
それなら満足。
それなら他言無用。

全く、自分を分かっているつもりになっていらっしゃるから性質が悪い。
貴方が思うほど、貴方は自身を理解していないと思いますよ。
貴方は美化がお好きなようで。
お好きになさればいいですよ。
そのかわり、その美化を口外しないで下さい。

公害です。    なんちゃって(死)

まぁ、簡単な話。

不愉快だ。

あんたは愉快。
こっちは不愉快。

だから自分本位なんだよ。

それで、あんたはこっちの不愉快を察知して、自分が不愉快なったら、こっちを責めたてる。

あんた。
そりゃ、自業自得ってもんだよ。
あんたは何時だって自己弁護。
だからその色眼鏡を外しなさいな。
そして、何より先にあんた自身を見ておくれ。
そしたら現実が見えるだろうよ。

あんたに現実は見えているのかね?



なんてこと思ったんだよねぇ。

ええ。

いつもの戯言。

寝たらきっと整理された頭に戻り、何事もなく日常を繰返す。

それでいい。

言わぬが仏の人生。

善きも悪しきも、全ては浄玻璃の鏡で査定してもらおう。

乱心

2004年5月25日 思考の間
乱れ乱れる。

抑えることは可能である。

常に抑えれば楽になれるのだろう。

そして抑える。

ときに体に不調が訪れる。

黙っていれば分かるまい。

それでいいのか分かりかねる。

しかし、それ以外の方法を知らぬのなら

続けるしかないのだろうよ。

愚か者。

追憶

2004年4月11日 思考の間
もう君の本当の姿は見れないかもしれません。

過去の貴方に執着したい。

そして其れが終着。

嗚呼。

貴方が誰かも…………

目を背けたくなる。

腐毫

2004年4月3日 思考の間
私は一体何が書きたいのか。

自分の日記を読み返しふと思った。

こんな日記であるが、如何せん常時思うわけではない。
そんなところが自分を容認している私の甘さなのだろうが…。

日記は自己の往時を回顧するための道具と私は考えている。

いや、考えていたはずだが……。

如何せん私はこの日記でそれを躬行しているように思えない。

そして如何すれば………






眠くなってきた…

続きはまた後で。


こうやって私は、またしても考えることから遁逃してしまう。

其れ故か……………………。

視線

2004年3月30日 思考の間
視線と言っていいのだろうか?

自分を見る他人の目。
その目は顔に付いているあの硝子玉か。
それとも、目には見えない心の目か?

そもそも、人の一片だけを見て、それを全ての判断基準にする人間の心とは一体どのようなものなのか?
そんな心の目を私は曇り罅の入った硝子玉としか思えない。

そんな腐った硝子で他人を判断する人間は、一体どれ程の器を抱えて生きるのか?

私には関係ない。

そんな人間に興味はない。

だから近寄るな。

ただ一つ気になること。

彼等はその腐った硝子玉をどんな宝石に見立てているのだろう?
アレは、どんなものとして彼等の目に映っているのだろう?

そんな硝子をこの世の全ての人は持っているのだろう。

だから全てを遮断したい。

大嫌い。
みんな、ずっとずっと知ってると思ってたよ。

腐ったその目を潰してやりたい。
お前の目が全てなのか?

お前には人形がお似合いだ。



嗚呼。欝。

アイツを消す前に自分が消えてしまいたい。

醜い自分。

いちばん濁ってるのは私の心だ。

ずっとずっと知ってたよ。


腐ってやがる
人には感情がある。あると思う。
そして、その感情を形・色として表すならば、それは人の数の倍以上の形や色があり、どれ1つとして同じものは存在しないと私は思う。
似通っているものが在ったとしても、それらは完全に一致することはなく、もし一致が在ると言うなら、それは完全な一致ではなく類似したものの一部の一致を全てと感じてしまっているのではないかと思う。
何故なら、完全に一致するそれを私は知らない。そしてそれを確かめる術もない。

感情とは、何らかの感覚が感情として現れるものだと私は考えている。
専門家から見れば、何の知識もない私のこんな考えに腹を抱える者も居るだろうと思う。
まぁ、考えるのは勝手だし、自分がそう考えた方が分かりやすいってだけのことだし、続けよぉ〜。

そして人々はそれを言葉で表現する。
言葉によって相手の感情を知ることが可能になる。
そして私もずっとそうしてきた。

だが、最近それに疑問を感じるようになった。

感覚が感情に、感情が言葉に、その過程の中で本当は多くのことが失われているのではないのか?
感覚を感情にする際、感情を言葉にする際、それぞれ変換する際に完璧な変換が出来ていないような感じを受け、その言葉を口にすることに抵抗を感じる。
変換の際に自分の感覚が捻じ曲げられたとしたら、その言葉は自分のものであり、自分のものではなくなるからだ。
大切な感覚であればあるほど、私はその感覚をそのまま相手に伝えたい。

私のとても仲のいい(?)女の子に、よく自分をダメだしされる。その子は自分で言うのもなんだが、確実に私よりも言葉を知らない。(幼いせいもあるが)それなのに、感覚・感情・言葉が一貫しているように思う。(幼いためか?)私が喧嘩をした時はいつも仲裁に入って円満解決してくれる。それがかなり悔しいが、自分には出来ない。
そんな時私はいつも、言葉を多く知っていることが捻じ曲がった言葉による感情のすれ違いを解決するわけではないと感じる。

そして、感覚と感情と言葉を自分ですら捻じ曲げることなく表に出すことが出来ないのなら、相手もまた然り。
それなのに、相手には感情を捻じ曲げることなく表に出せと思ってしまう、その感情は捻じ曲げられていない自分の素直な感情だ。
言ってみれば我侭であり、自分が捻じ曲げずにいられないなら、相手にそれを求めないことは当然のことであるが、そうできない。
仲のいい彼女は、それを充分に分かっているみたいに感じる。
彼女は言葉よりも大切なものが感情には必要だと言う。それをみんな忘れているらしい。まぁ、みんなといっても、彼女の小さな人間関係の中の人々に限定されるのだろうが。
気付いていないものではなく、忘れていると言うことは、もともとは知っていたということだろうが、私には検討もつきませんよ。

言葉がいつしか全てになっていた。
言葉がなければ分かり合えないと思っていた。
それは間違いではないだろうが、正しいものでもないのかもしれない。
しかし、今の私にはどうしても言葉が必要で、言葉なしで対話するというのは考えられない。

彼女が言っていることは何だかとっても難しい。

頭が痛くなってきたよ。
そもそもこんなことを考えているのは感覚と感情と言葉によるいざこざがあったからなんだよねぇ………
一応和解はしたものの、納得いかないからちょっと考えようと思っただけなのに、考えすぎたよ…
あぁ疲れた。。。
今日はここらで止めておこう。

大切なもの

2004年3月11日 思考の間
自分にとって大切なものとは。

最近、何が大切で、何を一番にしたいのか分からないんだよね。

全てのことを拒絶していたあの頃は、自分が一番大切で、自分を守ることを基準に全てが動いていたように思う。

何時からだろう。

自分が一番なのかすら分からなくなるほど、全てを拒絶できなくなるほど、作り笑いがうまくなったのは。

作り笑いは、表向きだけの世界で、露骨な拒絶を隠す道具であったと思っていた。だからこそ、相手を厭な気分にさせることなく距離を作る最善策だと思い込んでしまったのか。

それが自分を苦しめ、自分を見失わせるほど負担になるなんて思いもしなかったな。

一生懸命考えようとすればするほど、頭には空白が、心には穴が。

自分が自分でないことは最初から知っていたが、どうすれば自分を信じてあげられるのか。
他の人のように自分は自分だと、胸を張っていえるのか。
昔は言っていたのにね。自分って。

私は今、自分が分からない。
自分の長所とか、短所とか、そんなことではないな。
自分は居るのか居ないのか。
そんな基本的なことさえも分からない。
今の自分はそれが基本的だとも思えない。

「存在」

その確信は何から得られる?
目に見えるものだけが全てじゃないのなら、目に見えるものも全てではないんじゃないか?

考えれば考えるほどそう思う。

そもそも見えるとはなんだよ。
光の反射だろ。
だったら反射されないものは存在を他者に表示できないんだ。
そして、反射されないものなどないと、頭でっかちは語るんだ。

だから貴方はそこにいるんです。

私に見えて、あんたにゃ見えないものがあるじゃないか。
そしてあんたはその私が見えているモノを否定するじゃないか。
だとしたら、私だってあんたにしか見えてないかもね。

「存在」
なんて曖昧な。

全てが曖昧。

その曖昧さが大切なのかもしれない。

この世界が曖昧じゃなかったら、私は生きてはいけないね。
曖昧だから、まだ信じられる。
曖昧な自分を。

頭でっかちよ。
そんな曖昧な世界に完璧を求めないでくれよ。

そんなことしてるあんた達が一番曖昧に近いんじゃないか?


なんだか、毒が、独が、戻ってきたみたい☆

これもほんの一瞬でもとに戻る曖昧な錯覚かもね〜。。。



あぁめんどいなぁ。。

これから友達と約束あるじゃん。

池袋かぁ………

ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。。。。。。。

厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ……

できれば待ち合わせ場所、もっと近くにしてをくれよ。。。
外に行くのが億劫なんだから。
君たちも知っているだろうに。。。

こんな晴れた日は、お日様に当たりながら、本を読んで、ゲームをして、パソに向かって、曖昧な自分を世界から遮断するのに最適なのに。

ちっ。。メェルだょ…
はぁ、出かけるか。。
面倒くさいぜ。。。。。

さぁて今日は何を着てこうかな〜♪
やっぱ気合入れてゴスゴス行くか〜♪

美味いもの食べにいこ〜☆★☆

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