たまには真面目なことでも書いてみようか。
そうは言っても所詮私の頭では真面目にも限界があるし、
偏ったものの見方しか出来ませんから然して意味のある文とは言えますまい。

さて、前置きはその程度。そろそろ始めましょう。

生きていると色々な場面に立ち会うもの。
それは一つの事象であったり、それに伴う心模様だったりと様々。
そんな中で気になるものといえば、まぁたくさん。
その中で今回は「孤独」と言うものについて考えてみる。

そう簡単に「孤独」という言葉を使うものもいないが、
生活してみれば意外に多い言葉のような。
まぁ、私が思うに「孤独」なんてのは簡単な言葉ではないと思っているが。
それでも使う人間は何らかの根拠があって使っているに違いない。
しかし私は思う。
「孤独」というものは確かに感じるものかもしれないが、
相当な状況にならなければ感じることは出来ないのではないか。
それも勝手な話だけれど、私は孤独は周りが感じることでもあるような、そんな考えがある。
例え周りが「孤独な人」だと憐れんだところで、当人が孤独を感じていなければ、実のところ其処には孤独などというものは存在しないのではないか?と。
逆に自分は孤独だと思っていたところで、周りがそうは思っていなければ、当人は本当に孤独なのか怪しい。
それが親しい人間が当人を孤独だと思っていないのならば、さらに怪しい。
稀に孤独は恰好良いという人間がいたり、そんな人間を見て本当の孤独を知らないからそんなことが言えるのだと不快な表情を見せるものなどがいるけれど、結局どちらも孤独を知らないに違いない。
敢えて言うなら孤独な人間が自分を孤独だと言えるのか疑問だ。

「孤独」

それは結局、第三者の心情であるような気がしてならない。

最初に断っておいて良かった良かった。
最後まで読んだ者があるならば、何馬鹿を言っているのだなどと思われそうだが、偏りのある頭ですので、ご了承いただければ幸いと。

人が孤独を感じるのに必要な要素は一体何なのだろうね?

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